ボラとポラ

2004年6月22日
老人ホームにボランティアに行った。
雅楽の演奏を頼まれていたのだ。篳篥の相棒と私の笙と二管で、20分の演奏。この時期の電熱器を抱えての演奏は暑くてかなりきつい。しかし、もう慣れた曲。緊張をすることはなかった。
観客のかなりの数はボケているようだ。
老人に囲まれるというのはあまりない体験。意識がココに無い老いた人間の強い「生」に触れるのは、相当なショック。ある意味、ここはガンガーのほとりだった。
宙に向かって手を伸ばしてうめき声をあげる、うつろな眼をした老婆。演奏のあと、ホームの掃除をさせてもらい、何人ものベットに横たわる老人を姿を眼にした。意識はそこにあるのか、ないのか。ただいえることは、この老人達は生きているということだ。
生きている。生きている。生きている。
でも、スグそこに死がある。
私もいつかは必ず老いて、死ぬんだ。
禅寺の老僧がテレビで「悟りとは死を恐れないことだと思っていたが、そうではなかった。平気で生きていることだ」と言っていた。生きていくことは簡単じゃない。イロイロ考えた。
ボランティアに行くのははじめてだったが、たいしたこともできない。私があげられるものは何も無かった。ただただ、いただいただけだった。
帰りにカメラ屋さんに寄って、ポラのフィルムを買った。
台風一過の真夏日。ヒカリが眩しい。絶好の写真日和だ。帰宅後、おでむかえの猫達をササッとなでで、スグにピンホールカメラとHOLGAを持って、気になっていたフットサルコートに写真を撮りに。ピルアパートフィルムってのはたまらない〜!現像を待ってはがすときのワクワク感。失敗も成功もどちらも楽しい。
幸せに生きている。ただ、こうして写真を撮ることができるだけで。好きなことをして、お日様をあびて生きていられるだけで。

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